祭神は天満天神。「錦天満宮」と呼ばれる。 4384
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本能寺
法華宗本門流の大本山で、応永22年(1415)、日隆上人によって創建された。 当初は本応寺と称していたが、永享5年(1433)、六角大宮に移転した際、本能寺と名を改め、更に天文14年(1545)、油小路蛸薬師一帯に広大な寺域を得て大伽藍を復興した。 本寺は、天正10年(1582)、織田信長が明智光秀によって襲撃(本能寺の変)され、自刃したところとして世に名高いが、その折、30余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。 その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正17年(1589)、現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は昭和3年(1928)に再建されたものである。 寺宝には、花園天皇宸翰、伝藤原行成筆の書巻等の貴重な逸品を蔵し、境内には、織田信長及びその側近達の供養塔、並びに江戸時代後期の南画家浦上玉堂父子の墓などがある。
紫雲山頂法寺(六角堂)
聖徳太子が建立した古刹で、西国三十三所第18番札所。 本尊は如意輪観世音菩薩で、本堂が六角形を成していることから六角堂といわれる。 現在の建物は1877年(明治10)の再建。 京都の中心と言われる「へそ石」は本堂前にある。 いけばな発祥の地でもあり、「華道家元 池坊」として知られている。 ここでは、華道関係の資料が展示されたいけばな資料館の見学ができる。 ◆由緒 草創 用明天皇二年(587)聖徳太子建立 太子 大阪四天王子建立のため用材を求めてこの地の入られた時 夢に霊告をうけ杉の大樹によって六稜の堂を建て自らの護持仏をここに安置された 本邦 伽藍建立の最初であるところから頂法寺という 天治二年初めて炎上其後度々類焼し寛永十八年の再建には朝廷より陣座御殿の御寄付を得て本堂 山門 築地等を復興した 今の御堂は明治九年に再建 創建以来1400余年 本尊 如意輪観世音菩薩(閻浮檀金 御丈一寸八分) 聖徳太子の護持仏で六角堂建立の後は 本尊として祀り其の守護を小野妹子大臣に命ぜられたと伝える 妹子は入道して専務といい太子沐浴の池のかたわらに坊を営んだので坊号を池坊という 以来子孫が当寺住職として守護し今日に至っている 本尊脇仏には木像地蔵菩薩像 毘沙門天立像(藤原時代作 重要文化財)等を安置する 西国霊場 長徳二年(996)正月 花山法皇 当寺に行幸される これが西国巡礼の始めで 当寺は現在西国第十八番の霊場である また後冷泉天皇諸国の大寺に仏舎利一粒ずつを納められるにあたって当寺より始められたと伝えられ今も舎利塔が現存する ◆太子堂 聖徳太子御作二歳像(南無仏)を祀る ◆へそ石 本堂古跡の石ともいい京都市街の中心石として伝わる聖徳太子 沐浴の古跡 太子堂周辺の枯山水の庭となってそのおもかげをつどめている ◆華道家元池坊 小野妹子(専務)は太子の教え従って朝夕宝前に花を供え 代々の住職はこれを伝え いけ花の名手が輩出した 室町時代(足利義政の頃)には専慶が立て花の名手と称えられ室町後期には専応が出ていけ花の理念を確立した いけ花発祥の地といわれる所以である いまや池坊いけ花はここを拠点として発展し日本国内にとどまらず世界を結ぶ文化の重要な役割を果たしつつある ◆六角堂 紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造(ほうぎょうづくり)であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。 開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国33箇所観音霊場(現18番の札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。 本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石は臍(へそ)石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。 また、本堂北の本坊は池坊(いけのぼう)と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。 西国三十三ヶ所観音霊場 第十八番札所 六角堂 頂法寺 御詠歌 わが思う心のうちは六の角 ただ円かれと祈るなりけり ◆親鸞上人 親鸞上人は毎夜、比叡山より当寺本堂に百日参籠された。その95日目の暁の夢で、当寺御本尊より「法然の許へ行け」との示現を得た。このお告げによって再び百日参籠され、当寺より法然上人の許へと通った。 それから2年後、また夢中に「行者宿報設女犯我成玉女身被犯・一生之間能荘厳・臨終引導生極楽」 の偈文を授かり、これによって日本に新しい救いの教えである浄土真宗を開かれたのである。 このお姿は、比叡山より当寺本堂に参籠され、又再び比叡山へお帰りになろうとされているお姿です。 ◆親鸞堂 見眞大師(親鸞上人) 親鸞上人は、建仁元年(1201)29歳の時、毎夜叡山を下り、この六角堂に百日参籠され、夢中に四句を偈文を授かり浄土真宗の開祖となられた。 ここには、夢のお告げを聞いておられる姿の「夢想之像」と、六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」を安置する。 ◆へそ石 桓武天皇の延暦十二年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座えを祈願されたところ御堂がにわかに5丈ばかり北へ退かれたという。 この石はその際に取り残された礎石であると伝える。また京都のほぼ中央に当たるところからへそ石とも要石とも呼ばれている ◆一言願い地蔵 このお地蔵さまは少し首を傾げられた姿をされていますが これは悩んでいらっしゃるわけではなくお参りに来られた方の願いを叶えてあげようかどうしようか と考えておられるお姿なのです 願いを聞き届けて頂けるかどうかはあなたの信心次第です欲張らず一つだけ願い事をして下さいきっと叶えて下さることでしょう ◆なぜ三十三ヶ所なのか 観音信仰の基礎となるのが「妙法蓮華経観世音普門品第二十五」で俗にいう観音経です。その中には、観世音菩薩は人々が真心をもって観音様の御名を唱えれば、悩める私たちの求めに応じて様々な姿に身を変えて説法してくれるとあります。 観音様には聖観音・千手観音・如意輪観音など様々なお姿がありますが、観音様が人間世界に現れるときには「南無大慈大悲観世音菩薩」とお称えするように、慈愛溢れる性格から年齢・性別を問わず、三十三の身近な者の姿に変化して私達を救って下さいます。観音経の中にもその変化の姿が三十三数え上げられ、この数にちなんで全国各地に三十三ヶ所の観音霊場が開かれています。 ◆六角堂 十六羅漢 羅漢様とは、仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。十六と言うのは、方位の四方八方を倍にした十六を表し、あらゆる場所に羅漢様が居られることを意味しています。 この羅漢様は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践され いつも「にこにこ」されています。「和顔愛語」の教えとは、いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあると説かれたものです。みなさんも、この羅漢様のように一日でも多くの「にこにこ」を心がけましょう。 ◆邪鬼 この羅漢様の周りには邪鬼がいます。仏教をなかなか理解せず、ひねくれて仏教信者とならない。そんな衆生を邪鬼といいます。中には改心した邪鬼もいて、ここ六角堂には、羅漢様の周りで仏法を学びながらお守りしている者や、本堂前にある大香炉を自分から大喜びで背中に乗せるけなげな邪鬼もいます。ここの邪鬼は皆、自らすすんで縁の下を支えています。 ◆合掌地蔵 このお地蔵さまは、お参りに来られた方の願いを手のひらにやさしく包み込んで、その願いが叶えられるようにと、皆さんと一緒にお祈りしていらっしゃるお姿をされています。手を合わせ、その手に願いをささやきながら吹き込んでください。お地蔵さまの力を信じ、一心に祈れば必ず力をかしていただけることでしょう。
壬生寺
律宗の大本山で宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)、又は心浄光院(しんじょうこういん)と号し、本尊として地蔵菩薩立像(重要文化財)を安置している。 寺伝によれば、創建は奈良時代と伝え、正暦2年(991)三井寺(みいでら)の快賢僧都(かいけんそうず)により復興され、小三井寺と呼ばれていた。 その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平(たいらのまさひら)により再興され、さらに正安2年(1300)円覚(えんかく)上人が、仏の教えを身振り動作に仕組んだ壬生大仏狂言を創始し大いに栄えた。 現在の本堂は、昭和37年に焼失したため、昭和42年に再建されたものである。 ◆由緒 律宗に属し、本尊は地蔵菩薩立像(重要文化財)である。 寺伝によれば、正暦2年(991)三井寺の快賢僧都により創建され、古名を地蔵院、宝幢三昧寺などと呼ばれていた。 その後、火災により堂宇を焼失したが、正元元年(1259)平政平により復興され、さらに正安2年(1300)円覚上人が、仏の教えを無言劇に仕組んだ、壬生狂言(重要無形民俗文化財)を創始し大いに栄えた。 昭和37年に本堂が焼失したため、昭和45年に再建された。 また、境内北にある壬生狂言を演ずる舞台、大念仏堂(重要文化財)は、安政3年(1856)の特異な建造物である。 当寺境内は、新選組が大砲や剣術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨らの墓塔がある。 池田屋騒動があったと言われる7月16日には、毎年、慰霊供養祭が行われる。




