妙喜庵

妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。 この庵には、なんと言っても国宝の茶室「待庵(たいあん)」があることにつきます。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。

離宮八幡宮

貞観元年(859)、宇佐八幡宮より鎮座。石清水八幡宮として創建。後に離宮八幡宮と称する。地域の発展と人類の平和を祈願し現在に至る。 平安時代、わが国初の荏胡麻による製油が始まり、鎌倉時代に油座が結成される。本邦製油発祥の神社

宝積寺(宝寺)

養老7年(723)11月23日、龍神が唐土より万宝第一(何事も叶う)の打出と小槌を我国に伝来されました。神亀元年(724)、聖武天皇は行基菩薩に勅命され寶積寺を建立し、打出と小槌を奉納されました。 しばらくして御本尊大黒天神を印度よりお招きし、お祭り申し上げました。以来、財福・繁栄・増進の神様と崇められ詣されております。 当寺は、木津川・宇治川・桂川の三川合流を望む天王山中腹にあり、その昔大洪水で橋が流出し民衆が途方にくれていたとき、どこからともなく一人の翁が現れ、水面を自由に歩き、見事橋を復元されました。その翁は山に登り、当寺本堂のお厨子に入られました。 以来、本尊の十一面観世音菩薩が翁に化身され、橋をかけられたと評判がたち、橋架観音(はしかけ観音)と呼ばれるようになりました。 天正10年(1582)の山崎の合戦、元治元年(1864)の蛤御門の変に於いて、当寺へ陣地となり戦禍を蒙り、伽藍は一時荒廃しましたが、歴史の重要な舞台ともなり、どの時代にあっても現世利益の信仰はすたれることなく、今日もなお興隆の一途を歩んでおります。

自玉手祭来酒解神社 (酒解神社)

大山祇神が主祭神で大山崎の産土神。素戔嗚尊を相殿に祀る。延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社。 「たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ」は「さかとけさん」で親しまれる。 我が国最古で鎌倉時代建造の板倉形式という珍しい神輿庫は国の重要文化財指定。 かつて天神八王子社と呼ばれ牛頭天王を祀り、これが天王山の名の由来である。