長仙院

誓願寺の塔頭の一つで、本堂の本尊阿弥陀如来像はもと東山松原にあった清円寺から譲り受けたものといわれている。 未開紅の梅(蕾は紅色なのに、花は白色になるという珍しい梅の樹)があり、新京極の七不思議の一つである。

岬神社(土佐稲荷)

祭神は「倉(うか)稲(の)魂(みたまの)命(みこと)」と「石(せき)栄(えいの)神(かみ)」の二柱(柱は神様を数える 単位)。 農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなどの 災厄除けにも御利益がある。 社伝では、室町時代初期、鴨川の中州の岬(突端)に祠を建てたのが由来とされている。 その後、祠は鴨川の西岸など数度遷され、江戸時代初期、この付近に建てられた土佐藩の京屋敷内に遷されることとなった。 一般に「お稲荷さん」の愛称で親しまれる「倉稲魂命」を祀るため、「土佐稲荷」と呼ばれるようになる。 以降、土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも「産土(うぶすな)神(のかみ)(地域土着の神)」として熱心な信仰を集め,わざわざ土佐藩邸内に,一般人が自由にお参りするための通路を確保したほどである。 藩士たちの信仰も厚く、坂本(さかもと)龍(りょう)馬(ま)や中岡(なかおか)慎太郎(しんたろう)らも詣でていたと考えられる。 その後、明治維新により土佐藩邸が売却されると共に、神社も移転を余儀なくされ、その後幾多の変遷を経て現在地に鎮座、大正二年(一九一三)には近隣の氏子たちによって現在の社殿が建立された。 氏子地域は、北が三条通、南は四条通、東は先斗町、西は新京極。 例祭は六月十日。近年、氏子たちの力が結集された崇敬会が発足し、明治十年(一八七七)から伝わる神輿も修復され、例祭に巡幸する。

西光寺(寅薬師)

浄土宗西山深草派。山号北亀山。本尊阿弥陀如来。 弘安年間(1278~1288)後宇多天皇から下賜され、寅薬師と称した薬師如来を安置するため、御倉堂を建立したのが始まりと伝わる。 この薬師如来は弘法大師が一刀三礼し刻んだもので、寅の日の寅の刻に完成した事から、その名がついたという。 元来は宮中に持仏として安置され、歴代の天皇の信仰を集めたという。 お堂は1788(天明8)と1864年(元治元)に焼失、翌1865年(元治2)に再建されたが、明治44年三度焼失し、大正2年に再建。 仮建築のまま現在に至る。 寅薬師は京都十二薬師の第11番で、近世の名薬師の一つに数えられた。 寅年生まれの守護佛としてだけでなく、広く開運繁栄、無病息災などの諸願成就の霊験あらたかである。 堂内には別に安産守護の腹帯地蔵尊像も安置されており、腹帯を授与している(要予約)。 この地蔵尊も近世の京都名地蔵二十一地蔵の一つに数えられ、洛陽四十八願所の第34番でもある。

善長寺

永正の初めに忍想上人により綾小路室町善長寺町に創建され、 天生19年に豊臣秀吉の命で現在地に移転し、徳川家康上洛の折りの定宿であった。 地蔵堂に祀られている秘仏地蔵菩薩は、鎮護国家、無病息災、延命の守護仏として深く信仰されている。 浄土宗西山禅林寺派に属し山号を大原山と称している通称くさがみさんと呼ばれて親しまれている。

御所八幡宮

応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)神の三神を祭神とする。もと御池堺町西南角御所八幡町にあったが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によってこの地に移転した。 この八幡社を御所八幡宮と呼ぶのは、足利尊氏が邸内の守護神として勧請したと伝えられる由緒によってであり、尊氏の法名によって等持寺八幡とも、また高倉八幡とも呼ばれて親しまれてきた。 特に安産と幼児の守り神として有名で、三宅八幡とならんで「むし八幡」と呼ばれて世間の信仰を集めている。

染殿地蔵院

秘仏。裸形立像。伝空海作。名地蔵の一つ。時宗。 安産守護、腹帯授与。 文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)が本像に帰依して清和天皇を出産したと伝える。 国宝「一遍聖絵」第七巻絵二十六にある四条京極の釈迦堂とは当院である。 木造地蔵菩薩立像(染殿地蔵)

武信稲荷神社

859年右大臣左近衛大将藤原良相(よしすけ)が一門の学問所勧学院(かんがくいん)と、神社付近に創建した医療施設延命院の守護社と伝えられている。 境内の樹齢800年の榎のご神木には坂本竜馬と妻おりょうの愛の伝言が刻まれた。

安養寺 (倒蓮華寺)

浄土宗西山禅林寺派に属する寺である。 由緒はきわめて古く、寛仁2年(1018)恵心僧都が奈良県當麻(たいま)に建てた蓮台院が当寺の起こりで、ついで恵心の妹安養尼が居住して安養寺と改名した。 天永年間(1110頃)隆暹(りゅうせん)が京都に移し、鎌倉時代に入って証仏(しょうぶつ)が大いに寺運をひろめた。 天正年間(1580頃)豊臣秀吉によってこの地に移された。 本尊は阿弥陀如来立像で、八枚の蓮華を逆さに置いた上に立っているのが特徴で、このことから倒蓮華寺と呼ばれる。 伝説によれば、本尊をつくる際、蓮座がどうしても壊れるので、蓮華を逆さにしたところ、無事完成した。 これは女人は業が深く、心の蓮華はさかさまとなっていて極楽往生できないので、これを救済するため、わざと蓮華を逆さにしたのだといわれる。 この本尊にまつわる伝説によって、昔から特に女性の信仰が深い。