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岡崎神社

名称 岡崎神社
住所 606-8332 京都府京都市左京区岡崎東天王町51
拝観時間 9:00~17:00
拝観料金
URL

祭神として素戔鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、及びその御子三女五男八柱神を祀る  社伝によれば、桓武天皇の平安京遷都に際し、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つで、都の東にあるところから東天王と称した。
その後、社殿が炎上したため貞観11年(869)社殿を造営し、あらためて播磨国(現在の兵庫県)広峯から上記の祭神を迎え祀ったという。
古くから産土神(うぶすながみ)として付近氏子の信仰を集めていたが、治承2年(1178)中宮の御座の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰され、また、住時の王城鎮護方除(ほうよけ)の勅願により方除厄除神として信仰されている。  例祭は7月16日に行なわれる。
氏子祭は10月16日で、この日行列を整えて氏子町々へ神幸があり、櫓太鼓を先頭に十一基の振鉾(ふりぼこ)を連ね、神輿の渡御が行なわれる。
この振鉾のうち、特に犬鷹鉾(いぬたかぼこ)は平安時代の姿を伝える名鉾として有名である。

◆由緒
社伝に桓武天皇延暦十三年(794年)に平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称し厄除けの神として信仰が絶えない。
清和天皇、貞観十一年(868年)に改めて社殿を造営し播州広峰(兵庫県姫路市北方)から御祭神を迎えた。(諸社根元記)
平家物語では、当社を官幣四十一所の内とする。
後に後醍醐天皇が御再建。以来室町時代には将軍足利義政等により修造があり、幕府との関係も深い。とりわけ、治承二年(1178年)中宮藤原高子の安産祈願の幣帛を賜り、安産の神として昔より信仰されている。
また往時、付近一帯が野兎の生息地で、ウサギが氏神様の神使いと言われていた。境内の御手水の所にはウサギの彫像もあり、子授けの神として参拝者の人気を集めている。
境内には全国にも珍しい竜神様と呼ばれる雨ノ社があり、元は如意ヶ岳(大文字山)の山中に有った祠で、雨乞いの神として崇敬されている。
そして、御本殿及び、儀式殿(鶴泉殿)にて神前結婚式を挙げることができ、華やかな婚儀が挙げられている。
また、社務所にてウサギを織り込んだ、子授け・安産・健康のお守袋を授与している。

◆岡崎神社
子授け・安産・厄除の神
東天王 岡﨑神社
御祭神 素盞鳴尊・奇稲田姫命・八柱御子神

桓武天皇延暦13年(791)平安京遷都の際に、王城守護の為平安京の四方に建立された社の一つで、都の東方(卯方)に鎮座する事から東天王と称した。
清和天皇が貞観11年(869)に造営、後醍醐天皇も造営、室町時代には足利義政が修造、幕府との関係も深く、平家物語は官幣41社に加えている。
治承2年(1178)に、中宮の御産の奉幣を賜った事から、安産の神として祈願する信仰がある。
創祀の王城守護方除の勅願より、方除厄除神として信仰が絶えず、厄除祈願はもとより、地鎮祭等の建築に関する祭事の申し込みが多い。
また往時背後の紫雲山を始め境内一帯がうさぎの生息地であった事から、うさぎは氏神様の神使いと伝えられ、本殿や境内の灯篭・狛兎・狛犬の台座・斎館等にうさぎの彫刻が見られ、特に手水屋形にある子授けうさぎ像は参拝者の人気を集め、祭神が子宝に恵まれ、うさぎが多産である事から子授けの神として祈願信仰されている。

京都府京都市左京区岡崎東天王町51

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